Feature 5

Who's “Orang”???

ユースたちから圧倒的支持を受ける
NEWタイプの古着屋。
そのオーナー“オレンジ”さんとは?

  • Update :

    May 12, 2022

2018年、堀江に<DAILY DOSE quality stuff>がオープンしたのを皮切りに、翌年には同じく堀江に<SIGHTO>、2021年夏にはアメリカ村に<Copyart Collective>が誕生。

 

ここ数年を代表する、巷で話題の古着屋である。

その3つの店舗を束ねるのが、“Orang”(オレンジ)さん。

その一風変わったニックネーム。いまの30代後半以上はご存知の方も多いのではないだろうか。

 

「カジカジ」や「cstm」といった関西発のファッション・カルチャー誌や全国誌にORANGさんが度々登場していたことと、アメ村のクラブで人気を博したレギュラーパーティーの主催メンバーであったこと。そんな、ミナミのファッション・クラブカルチャーを象徴する顔的な存在だ。

 

ご存知の方はきっと、ちょっと怖そうな昔からアメ村にいるイケてる先輩。そんなイメージだと思う。

 

しかし最近、若い世代からも“オレンジさん”という声をよく耳にする。

 

世代間のギャップが取り沙汰される昨今に、いったいなぜ若い子たちが? 

そんな疑問を追求すべく、オレンジさんに会ってきた。

某日朝11:00。<copyart collective>が入居するビルのオフィス。

タバコを燻らせるオレンジさん。「ゴリゴリの2日酔いなんですけど大丈夫ですかね?」と水を飲み、

ブタのマスクを被った。

 

まず気になるのは、恐らくこれまでほとんど触れられていなかった、オレンジさんの経歴である。

 

「昔からアメ村にいるんで“大阪のひと”って思われがちだけど、東京の昭島ってところで生まれ育って。こだわりが強くてちょっと変なヤツ、みたいに思われてたんで小学校低学年の頃は普通にイジめられてましたよ。ひどいイジメとかじゃなく、イジられる対象みたいな。それはすごく覚えてる。小学校はスポーツが好きじゃなかったんで、吹奏楽部に入って。特段悪ガキでもない、たぶん普通の子供時代でしたね」。

Daily Dose quality stuffにて

いまのオレンジさんを形成する
多感な時期のファッションや音楽との出会い。

「4つ上の兄がいて、部屋にエロ本を探しに行ったら、雑誌の「ファイン」を見つけて。中一の終わりくらいかな。 それがいわゆるファッションに興味を持ったきっかけではあるけど、小学校から通っていた『バーバー水谷』って床屋のお兄さんがめちゃくちゃイケてて。家のバーバーを手伝ってるけど、僕が小6 のときにもうスノーボーダーで。
1990 年くらいにすでにスノボーしてたと思うから、だいぶ早い。単車乗っててバンドやってて、ロン毛でロカビリー。で、スノーボーダーっていう、ちょっとわけわかんないひとで。その人に教えてもらった “レストレス” って’70sのイギリスのバンドのカセットテープを聞いたのが、初めて聞いた洋楽。でも、洋楽にガッツリハマったのは高校からかな。中学は普通にB.zとかリンドバーグとか聞いてましたし。服に関しても「良い古着屋がある」ってそのお兄さんが教えてくれた地元のすぐそばの福生ってところに買いに行くようになった。福生って米軍基地があって、払い下げの軍物とか古着が並んでて。あとは、自分の親父が洋服にはこだわってたぽくて、クローゼットにあった親父の<ジョンスメドレー>のポロシャツを勝手に着て出かけたり。場所で言うと、渋谷・原宿とかは全然興味なくて、昔のテレビ番組「浅草橋ヤング洋品店(ASAYAN)」の影響で上野とかに母親と一緒に買い物に行ってましたね。雑誌で見た<レッドウィング>が欲しかったけど高くて買えなくて、<ホーキンス>が展開してたアイリッシュセッター丸パクリのブーツを履いてた(笑)」。

中2がターニングポイント。

情報を簡単に手に入れることができず、雑誌や身近なひとからの影響が大きかった少年時代。
オレンジさんのターニングポイントとなったのは中学2年だったと言う。

 

 

「ウチの中学に福生の中学から“オキ”ってやつが転校してきて。”オキ”はゴリゴリのダンサーで、学ランを前後逆に着てるようなとんでもなく洒落たやつで。そいつがきっかけでヒップホップというものを知った。けど、当時はそこまでヒップホップにはハマらずで。それと、同じ塾に超アメカジなやつがいて、めちゃくちゃヴィンテージ持ってて、今考えたらボンボンなんだろうけど、仲良くなっていろいろと服のことを教えてもらった。自分的にはその頃にいろんなことを知れたし、ヤンチャもしたし。で、地元あるあるだと思うんですけど、高校入学してすぐに「制服でどれだけお洒落できるか」みたいなムードがあって。どんな靴合わせるか、とか。ウチの高校ってブレザーでチェックのパンツっていう、いま考えたらお洒落しやすい制服でしたね。常にヘッドホンしててディープハウス聴いてるやつとか、授業中にずっとイヤホンしてて「なに聴いてんの?」って聞いたらスチャダラ聴いてるやつもいたり。東京のクラブカルチャー全盛期のときに、僕らはそこに行けない世代だったから、そこら辺で起きてることとファッションカルチャーで起きてることを見よう見まねで真似してた。ちょうど第2次日本語ラップブ ームが始まった頃で、ブッダブランドとかライムスター、ソウルスクリームとかを聴いてるけど、ディープハウスやレゲエも聴いて、UKパンクも聴いて、もちろんJ-POPも、みたいな。いろんな音楽を寄り道しながら聞いてた、って感じですかね」。

90年代初頭から中頃は、ドラマの主題歌がチャートを支配するJ-POPが隆盛を極めるなか、日本にもヒップホップをはじめとした新たな音楽が根付き始めたころ。

ファッションも含め、アップデートされてゆくカルチャーを自分の成長とともに目の当たりにしてきた世代である。

「もちろん全部(のジャンル)を着てきたわけじゃないけど、ファッションも音楽も時代的に王道をいっぱい見てこれた。いまでも「王道が一番カッコいいっしょ?」って思ってるし、ちょっと道から外れても、見失ったら王道に立ち返ればいい。王道を知ってるからこそ逆にハズすこともできるし。それは、自分がいまやってる店のコンセプトにもなってますね」。

ダンスとクラブとNYに陶酔した
高校時代とその後

「実は高校3回ダブッてるんすよ。特に遊びまくってた高3は2回ダブってて。駅のコインロッカーに制服入れといて、クラブで朝まで遊んで、駅で着替えてそのまま学校に行って、授業中に寝て、の繰り返し。とりあえずちゃんと学校には行ってたんですけど単位を貰えなくて、先生にも「絶対卒業させない!」って言われてたし。で、高校行きながら、19歳のときに〈PNB nation〉って当時一世を風靡したNYブランドの代理店をやっていた会社のショップ『THE EDGE』でバイトし始めて。なんだかんだ、入学から6年かかって当時の3つ下の彼女と一緒の年に卒業したのが20歳(笑)っていう」。

目の前の好きなことに夢中になりすぎて、失うものと得るもの。

それは経験した本人にしか分からないことであり、もしかすると得たものほうが多かったのかもしれない。

「高校卒業した後もクラブとダンスにどっぷりで、チーム組んでショーやったり。ひたすらバイトしまくって3、40万貯めて2週間ニューヨークに遊びに行くっていうのを年に2・3回。街をブラブラするのと、服買うのと、一番の目的である「フェイジル」っていうめちゃくちゃ有名なダンススタジオでレッスン受けて、もちろん夜はクラブ行って。NYに行くためだけに働いてた時期がまあまあ長かったですね。で、仕事は2年間バイトしていたアパレルの商社に就職しました」。

“3年間”のつもりで来た大阪。

「当時は後先考えずにとにかく遊びまくってたんで、訳もわかんないまま消費者金融4社に240万借金ができて。 武●士、●ロミス、レイ●、ア●ムのサラ金オールスターから毎日のように職場に電話かかってきててね(笑)。 ちょうどその頃に子供ができて、いわゆるでき婚。しかも、PNBの人気もだいぶ落ち着いて、『THE EDGE』の東京店が閉店するのと重なって。見かねた当時の社長が「オマエ本格的に人生終わってまうから、3年でいいから大阪で働け、社宅もあるし」って言われたのが大阪の本社に来たきっかけです。3年どころか、気づいたら20年以上いるけど(笑)。大阪での仕事は、扱っていたブランドの営業で地方を飛び回ってましたね」。

 

 

 

 

大阪での地位を確立したパーティー「SOUL FOOD」。

人生を左右するタイミングで、大阪へ。

そんなオレンジさんをアメ村で有名にしたのは、のちに超人気となるレギュラーパーティーだった。

ヒップホップブーム真っ只中の2003年にスタートしたそのパーティーは、

数ある関西のヒップホップイベントのなかでも指折りの知名度を誇った。

そのプロモーターを務めたのがオレンジさんである。

 

 

「大阪に来た年に、Club azure(現 Ghost)で「SOUL FOOD」っていう毎週土曜のレギュラーのヒップホップパーティーがスタートして、そのプロモーターを担当したんですよ。「今週パーティーやるから来てよ!」って近隣の服屋とかをたくさん回って宣伝した。ファッション性が強かったというか、洒落たひとが集まるイベントだったんですよね。だから、僕はその人のことを知らないけど、僕を知ってくれている人が自然に増えて。自分の顔を売ることにも繋がったてたんだな、と。だから僕のイメージって、たぶんいまの40前後のひとたちはその頃の印象が強いんじゃないかな。2003年からスタートして、なんだかんだイベントの名前を変えたりで、風営法問題も乗り越えつつ2015年頃まで毎週パーティーやってましたね。 仕事に関してはアパレル、飲食、印刷&デザイン業などを転々と。パーティーを続けていける仕事をやってた感じです」。

思わず口にしたことが現実に... 古着屋の経営者へ。

「古着屋をやるきっかけになったのは、2016年から働いていた谷町のデザイン事務所の社長さん。めちゃくちゃ尊敬していて、よく「高倍くん(オレンジさんの本名)はアメ村に育てられたんだから、アメ村に恩返しするべきだ」って言ってくれてて。

ある日、社長と2人でしこたま飲んだあとにアメ村を歩いてたんですよ。そしたら10坪くらいの小さいテナントが内装工事をやっていて。そこで「高倍くん、この物件借りたとしたら何したい?」って聞かれて、「僕だったら古着屋やりますね」って答えたのが最初。

そう答えたのも、買い付けでアメリカに行けるっていう短絡的な理由ですけど(笑)」。

「それからしばらくして、2週間休み取ってアメリカに遊びに行ってきますって話をしたんですよ。そしたら社長が「アメリカ行くんやったら古着の買い付けしてきたらいいやん」って。古着屋の話、覚えてたんだ、って感じですよね。で、実際に2週間ニューヨークに行って、買い付けてきた古着を社長に見せたんですよ。これ何ドルで買っていくらくらい値段付けれて、て話をしたら、社長から「古着屋いけるやん」ってなって。 その社長のでっかいバックアップもあって、「んじゃやってみるかー」って気軽な空気で。 アメ村で開けたかったけど、当時アメ村に良い物件がなかったので堀江でスタートしたんですが、それが『DDQS』のはじまり。いまの場所は『THE GROUND DEPOT.』の飯田くんが紹介してくれて。細長くて、すごい変な物件で「オレっぽいな」と思ってます」。

1号店『DAILY DOSE quality stuff』

まるで、ウナギの寝床のような極狭・極上空間

  • 細く奥まった『Daily Dose quality stuff』の店内は、人と人がすれ違えないほど。でもそれがアナログ感があり、オレンジさんらしい。手前にはスーベニア的なグッズものもあるが、Made in USAのTシャツや服好きのツボを着くデザイン性の高いジャケットなど、奥に行けば行くほどその面白さに出会える

  • DAILY DOSEの魅力は、奥だけでなく上や下にも。まるで、レコードを探すような“堀り甲斐”のあるレイアウトに

22歳でオレンジさんと出会い、働くこととなったスタッフのMASASHIくん。現在は『Daily Dose quality stuff』の店長を務める

あくまで自分はパーティー屋さん。

堀江に『daily dose quality stuff』ができたのが2018年5月。
晴れて古着屋をオープンさせたものの、当初は順風満帆とはいかなかったそうだ。

 

 

「店を開けるにあたって、当時40歳だったので、おっさんが店開けても続かねーなって考えてたんで、友人のUC(rajabrooke)と二人で若い子たちが集まるパーティーをしかけて、そこでイケてる子を探そうと。 最初のスタッフである“まさし”はそのパーティーで「ウチで働かない?」って声をかけて。

いざオープンってなってレセプションも300人ぐらい集まってくれて、『HYPEBEAST』だったり『カジカジ』だったりいろんなメディアにちょくちょく載せてもらったりで、外からは”順風満帆でガッツリ売れてるんちゃうん?”ってイメージだったと思いますけど、もう全然(笑)。 オープン当初は知り合いが来て買ってくれたりするんですけど、半年目ぐらいのタイミングは毎月「潰れるわ」って思ってましたからね。 いろいろ頭を巡らせて、おしゃれ好きってよりも、とにかく“いまストリートにいる子たち”を巻き込みたいなーって考えた結果、「結局僕はパーティ屋さん」ってところに立ち返ってみた。 とにかく遊んで遊んで遊びまくろう、つって(笑)。 “まさし”より少し後に店に入ってくれた”シン”の3人がいわゆるDDQSオリジナルメンバー。遅刻してもいいし毎日二日酔いでもいいからクラブ行きまくって、スケートしまくって、男女構わずナンパしまくれ! って言う空気感で走り続けてましたね」。

パーティーで人を集める。
オレンジさんが得意とすることを、古着屋にも投影したことで、
新しいウネリが発生した。

「僕がやってる手法って、昔ながらというかアナログというか。パーティーやって次の日とか、次の次の日とかに店に来てくれるっていう、ほんと古臭いやり方なんですけど、いまそんな感じでやってる人がいないから、若い子には新鮮なのかも? って思いますね。あと、オープン前に老舗から新しいところ、関西のほぼすべての古着屋回って。で、自分が辿ってきた音楽をテーマにした古着屋って意外と無かったんですよね。それが浸透してきたのもあると思います。2019年に『SIGHTO』を開けるちょっと前くらいに、自分が望んでたような子たちやお客さんが集まってくれるようになった。まさしく、人が人を呼んで、という」。

 

2号店『SIGHTO』

DAILY DOSE quality stuffが誕生した翌年の2019年には、同じ堀江エリアにコンセプトを変えた2号店をオープン。

 

 

「DDQSは、簡単に言うとHIPHOP。僕見た目はそこまでB-BOYじゃないんですけど、アティテュードは超ヒップホップなつもりなんで、ブラックカルチャーにどっぷりな人間がやってるのがDDQSで。もちろんアメリカ製のシャツとかTシャツもあるけど、スタイルでヒップホップな提案をしてるんで、生産国にはそこまでこだわりは無いっすね。

 

SIGHTOはDDQSよりもちょっと大人で、音楽で言うならREGGAE。大人向けというか、大人ぶりたい・背伸びしたい若い子に向けたお店かな。ヒデミちゃん(SIGHTOの店長)と一緒にアメリカ買い付けに行ったときに「新しい店では、パンツのお医者さん」やろう、て話をして。いいシルエットのパンツを死ぬほど買ってきた。古着に慣れてない子たちに、とりあえずパンツを買ってもらうっていうのをテーマでスタートして」。

  • 棚に積まれた無数のパンツ。ヴィンテージの軍チノや、ポリ素材のスラックスなどどれも綺麗なシルエット。

3号店『Copyart Collective』

2021年8月、オレンジさんの念願だったアメ村に3号店『Copyart Collecitive』がオープン。

広大なフロアに古着や雑貨、さらには家具までがラインナップする。

 

「店名は、世界初のコピー機(Xerox 914)を使ったイギリスの70年代のアート集団の名前。ググっても全然出てこないけど、昔のアートブックにクレジットが載っていて。前から、ある物を使ってコピー&ペーストする作業が好きだったことと、コピー=サンプリングっていう意味も込めて。あと、これは完全に自己満なんですが、HIPHOP、REGGAE、ときたらあとはHOUSEとか思ってて。 Copyは音楽のジャンルで言うならHOUSE。意味わかんないけど(笑)。 オープン当初はガンガンにディープハウスをかけてた。カオスすぎてやめましたけど(笑)。なので先の2ショップとここで、自分の柱となる3つのジャンルの音楽を古着や雑貨、家具で表現してるつもりです。

 

ここには、古着や雑貨に加えて家具もあって。 ブランドも歴史もないけど「なんかいい」家具、雑貨類とかを中心に国内外からセレクトしてる。Tシャツ探しにきたけどソファ買っちゃいました(笑)みたいなノリですね。かっこいい部屋にしたいなーって思っても、家具探そうと思うと、IK●Aやニ●リぐらいしか選択肢がない。中古でも、安くて雰囲気のいいモノでステキな部屋を作るお手伝いできたら良いなーって考えてます」。

 

  • 様々なカルチャーや知識があるからこそ説得力のある、古着と家具の提案

色分けされたTシャツや、無数のバギーパンツ、原色のみのラックなど、どこかクラブウェアを匂わせるようなラインナップ。奥にはデザイン性の高いTVラックやテーブル、椅子なども。

「Copyを開けるタイミングで独立開業して、初めて自分の責任ですべてを回すことになった。だから会社設立してからまだ1年ちょい。毎日ヒヤヒヤしながら過ごしてるけど、自信を持って言えるのは僕はひとに恵まれている。スタッフもみんなめちゃくちゃ良いやつだし、尊敬できる先輩もいる、真面目に話聞いてくれる大事な友達もいる。商売のことはよくわかんないけどみんなのお陰で楽しく生きてます(笑)」。

若者たちへ。

「若い子たちと触れる機会が多くなって思うのは、意外と頭硬いなって。いろんなことを見て、いろんなとこ触って「自分コレがイイんすよ」だったらいいんですけど、頑固に「自分コレっす!」みたいな子が多い。プライド高いし、転けたくないってのが伝わってくる。だから、毎日転けさせるのに必死ですよ(笑)。いまでこそ「オレンジさん、オレンジさん」って言われるけど、超ダサイ青春時代で、情けないこともいっぱいしてきたから、やっていいこと・悪いこと、人付き合いで大事にしなきゃいけないこと、いっぱいミスってきたのが蓄積されて、いまは割とナイスな感じでいれてるし。友達が多いのもそういうことだと思う。失敗したくないから、余計なことをしない。デジタルな時代性というのもちろん分かるけど、逆にこういう時代だからこそ、自分が知らなかったパーティーや店にも行ってほしい。

 

スタッフにはよく言ってるんですよ。“同じ場所で遊ぶな”って」。

photo / Taku Tsutsui

edit / Masashi Katsuma

 

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